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プロフィール
HN:
極悪
年齢:
40
性別:
男性
誕生日:
1984/10/27
座右の銘
「努力は才能を凌駕する」
「努力は才能を凌駕する」
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学生生活も残りわずか 今日も人を小馬鹿にしながら何とか生きてます
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いつもの時間にスタジオが取れなくて、
でもそれじゃ時間空きすぎちゃうからってことで、
なぜだかこんな水曜の朝っぱらの練習となった。
唯一体調が悪くても、行こうと思えるものなので、
ギター抱えて梅田まで。
ライブを想定して、エフェクターフル活用で色んな音を作った。
そして、確かにそれがカッチリ曲にはまるのを感じた。
自分の作った曲がそこにちゃんと存在している。
もう自分にはなんも残ってねーのな、なんて思ってたけど、
まだ音楽だけは残ってた。あったよ。
もしかしたら、まだ頑張れるのかも知れないと可能性が少しだけ見えた。
そして、夕方また病院へ。
いつになったら結論が出るんだろうと思っていたけど、
どうやら長期的に様子を見ていく方針らしい。
だから来週も行かなきゃいけないみたい。
体温も毎日メモに残して置くようにだって。
ショックだったのが、
血液検査というのは用途に応じて数百種類もあるらしいということ。
感染症と膠原病ではそれぞれ違うやりかたらしい。
だから、その都度血液を採取しなければならないらしく、
1回採られたからもうOKということはないらしい。
だから、今後も注射を打たれ続けなければならないということ?
泣ける・・・つらすぎる・・・注射だけはむりです・・・www
そして、親から電話。
下宿して4年間ほとんど連絡を取ってなかったけど、
さすがに最近は体調のこともあり、連絡回数がかなり増えた。
状況説明して、奨学金の話になった。
話は変わるが、
うちの祖父というのが、なかなかに金を持っていらっしゃる。
話に聞くと、
定年時には1部上場の薬品会社の大阪で一番偉い人だったらしい。
まあ、会社名は言ったら絶対知ってるとこだと思います。
それは金もあるはずです。
で、うちの父親はというと、それに反して金が全然ないです。
祖父のスパルタに耐え切れずに、
見事にエリートコースからドロップアウトしたかなんかで、
うちの兄弟3人の学費でかなりひぃひぃ言っております。
それでも、祖父の力は借りずに自分の力だけでやってきてました。
それが、この間の正月に父は祖父から多額の援助を受けていました。
額としては、年金暮らしの老人が子供に与えるにはおかしいレベルです。
やっぱり、追いつかなくなったんだと思いました。
自分の力だけでなんとか出来ずに、祖父に頼る、
なかなかに苦い決断だったと思います。
そして、その使い道に真っ先に上がったのが、
僕の奨学金の返済みたいです。
家を買うものだとばっか思っていたので、意外でした。
成績も悪くなかったので無利子のやつを借りれてたし、
自分で返すつもりでずっといたけど、
「借金を持たせた状態で社会に出させてあげたくない」とのことです。
でも、口には出さないものの、本音は、
「病気というハンデを抱えていること」を気にしてだと思います。
このタイミングはそういうことでしょう。
もう後は就職するだけで一人前、
なんてうぬぼれていた自分が恥ずかしくなりました。
はっきり言って何も出来てないじゃん。
ここまで助けがないと駄目なのかって。
父がプライドを投げ打ってまでいるのに、
一体自分はいつまでうつむいてるんだって。
意地でも生きなきゃいけない。
簡単に諦めて、死んでも良いや、なんて
今まで人生で助けてくれてた人への冒涜だ。
繋がりを断ち切って、一人でなんとかする。
でも、一人になったって、諦めてしまったら、
それもまた甘えてることになってしまう。
誰にも助けてもらわずにってのが無理だとしても、
出来る限り自分の力で、
途中でこけても最後まで走り続ける、
とどのつまり答えはそこにしかなかったんだと思う。
久々にやった筋トレはスクワットが特にしんどかった。
でもそれじゃ時間空きすぎちゃうからってことで、
なぜだかこんな水曜の朝っぱらの練習となった。
唯一体調が悪くても、行こうと思えるものなので、
ギター抱えて梅田まで。
ライブを想定して、エフェクターフル活用で色んな音を作った。
そして、確かにそれがカッチリ曲にはまるのを感じた。
自分の作った曲がそこにちゃんと存在している。
もう自分にはなんも残ってねーのな、なんて思ってたけど、
まだ音楽だけは残ってた。あったよ。
もしかしたら、まだ頑張れるのかも知れないと可能性が少しだけ見えた。
そして、夕方また病院へ。
いつになったら結論が出るんだろうと思っていたけど、
どうやら長期的に様子を見ていく方針らしい。
だから来週も行かなきゃいけないみたい。
体温も毎日メモに残して置くようにだって。
ショックだったのが、
血液検査というのは用途に応じて数百種類もあるらしいということ。
感染症と膠原病ではそれぞれ違うやりかたらしい。
だから、その都度血液を採取しなければならないらしく、
1回採られたからもうOKということはないらしい。
だから、今後も注射を打たれ続けなければならないということ?
泣ける・・・つらすぎる・・・注射だけはむりです・・・www
そして、親から電話。
下宿して4年間ほとんど連絡を取ってなかったけど、
さすがに最近は体調のこともあり、連絡回数がかなり増えた。
状況説明して、奨学金の話になった。
話は変わるが、
うちの祖父というのが、なかなかに金を持っていらっしゃる。
話に聞くと、
定年時には1部上場の薬品会社の大阪で一番偉い人だったらしい。
まあ、会社名は言ったら絶対知ってるとこだと思います。
それは金もあるはずです。
で、うちの父親はというと、それに反して金が全然ないです。
祖父のスパルタに耐え切れずに、
見事にエリートコースからドロップアウトしたかなんかで、
うちの兄弟3人の学費でかなりひぃひぃ言っております。
それでも、祖父の力は借りずに自分の力だけでやってきてました。
それが、この間の正月に父は祖父から多額の援助を受けていました。
額としては、年金暮らしの老人が子供に与えるにはおかしいレベルです。
やっぱり、追いつかなくなったんだと思いました。
自分の力だけでなんとか出来ずに、祖父に頼る、
なかなかに苦い決断だったと思います。
そして、その使い道に真っ先に上がったのが、
僕の奨学金の返済みたいです。
家を買うものだとばっか思っていたので、意外でした。
成績も悪くなかったので無利子のやつを借りれてたし、
自分で返すつもりでずっといたけど、
「借金を持たせた状態で社会に出させてあげたくない」とのことです。
でも、口には出さないものの、本音は、
「病気というハンデを抱えていること」を気にしてだと思います。
このタイミングはそういうことでしょう。
もう後は就職するだけで一人前、
なんてうぬぼれていた自分が恥ずかしくなりました。
はっきり言って何も出来てないじゃん。
ここまで助けがないと駄目なのかって。
父がプライドを投げ打ってまでいるのに、
一体自分はいつまでうつむいてるんだって。
意地でも生きなきゃいけない。
簡単に諦めて、死んでも良いや、なんて
今まで人生で助けてくれてた人への冒涜だ。
繋がりを断ち切って、一人でなんとかする。
でも、一人になったって、諦めてしまったら、
それもまた甘えてることになってしまう。
誰にも助けてもらわずにってのが無理だとしても、
出来る限り自分の力で、
途中でこけても最後まで走り続ける、
とどのつまり答えはそこにしかなかったんだと思う。
久々にやった筋トレはスクワットが特にしんどかった。
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