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プロフィール
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極悪
年齢:
40
性別:
男性
誕生日:
1984/10/27

座右の銘
「努力は才能を凌駕する」
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学生生活も残りわずか 今日も人を小馬鹿にしながら何とか生きてます
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最近ガリ勉がマイブーム。
座学もなかなか悪くないと思う。
金融関係の本読んでノート取って、
これを続けていたら多分入社時に最低限のベースは備わってるはず。
ただ、やらなきゃいけないことが多すぎることに気づいた。

それに気づいたのは自分の業界について改めて考えたとき。
投資銀行って名前はついてるものの、
うちはやっぱり「証券会社」です。
証券の人に必要なこと、金融内でも証券の一番の強み、
それは「マーケットに精通していること」。
日々動くマーケットに対して自分なりの見識を持って語れること、
それはリテールでもIBDでもマーケットでも
みんな共通して出来なければいけないことなんじゃないかな。

企業だけ知っていても駄目、
株や債券だけ知っていても駄目、
国内、国外問わず全ての物事に目を向けないと。
だって、なんかマーケットって全部つながっちゃってるし・・・
株式市場がやばいときは債券市場にマネーが行く。
為替が動いたときには企業も影響受ける。

どうもIBD志望だったせいもあって、
企業に関係することしか見てなかったなぁ。
未だに政治的な話が全然わからんのだわ。
コーポレートファイナンスだったり、
金融工学にばっかり目を奪われていたけど、
一番の基本はやっぱマーケットなんだよな。

今読んでる本が終わったら、
もっと金融のベースに関わることを学ぼう。
まだ日経新聞の中でも理解できない面がある。
入社までに全部理解できるようになることが目標だなっ。
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最近、毎日ニュースから目が話せません。
時代が変わるときが来たようです。
その中で考えないといけないことは二つ。


①社会が今後どのように変わっていくか
②変わっていく社会で自分が何をすべきか


まず、一つ目の社会がどう変わっていくか。
こんなことまあ一言で言えるわけじゃないんだけど、
一番気になるのが、
「金融の勢力図がどう変わるか」

最近くずれた「投資銀行のビジネスモデル」は
どういうものかというと、
レバレッジをかけてハイリスクハイリターンの商売をするといったもの。
100億持ってるとしたら、
その100億を元手に1000億を調達してくる。
そしてその1000億を自己勘定投資に使う。
レバレッジは10倍なので、利益も損失も10倍になる。

しかし、GSもMSも銀行になってしまった。
どう変わるかというと、
自己資本比率を一定以上保たないといけなくなった。
こうなるとレバレッジはかけられない。
100億円のうち80,90億を使ってビジネスをしないといけない。
派手に稼ぐのはもう無理。

とはいえ、投資銀行業務がなくなるわけではない。
M&Aや株・債券の引き受けで手数料を稼ぐ仕事はなくならない。
今後数年で日本がやらないといけないのは、
多分このビジネスの世界シェアを引き上げること。
アメリカの金融機関が弱っている間に攻めるべし。

ここで業界の勢力図が変わる。
うまく攻めれたところと、攻めに失敗したところ。
リーグテーブルの順位は今までとは違ったものになる。
少なくとも僕はそう思います。


次に、自分が何をすべきか。
金融シーンはまた新しい段階に入る。
その中で自分はどのようなプレーヤーになっていくか。
最近悩んでるのはこれ。
早い話「なにやったら面白くて、儲かるか?」
てきとーにIBDで経験積んで外資やファンドで高給取りになる。
そういう楽しいキャリアはもう通用しない。


レールはなくなっちゃったけど、
むしろそれを前向きに捉えていこうかな。
ここで一歩踏み出せるかどうかが勝負!!
アフガンでがんばっていたNGOの方が殺されてしまいました。
もう残念としか言い様がない。

回りを見ていても、
大して努力もしない、
社会の役に立つようなこともしない、
なのに自分のエゴはしっかり通そうとする、
そんな人がはっきり言って多い。

でも、この人は違ったと思う。
この伊藤さんって方は語学もさっぱりだったらしい。
なのに、「行かなければ何も始まらない」(←実際に言ってたらしい)
と一歩踏み出して、アフガンでがんばっていたわけですよ。
語学も現地で必死に覚えたらしいよ。
まさに「侍」じゃないですか。
また貴重な侍を一人失ってしまった・・・。・゚・(ノД`)

安全なところでえらそうに言うのは簡単なんだよね。
だからこそ、危険な現場にも飛び込んでいけるこの人は本当に立派だ。
リスクを取ってでも、何かを変えようとするその心意気は
大いに見習うべきところだと思う。

こういう生き方って報われないのかもしれない。
損してばっかりなのかもしれない。
それでもこういう生き方に憧れてしまう。

安全なところでえらそうに言うのは楽ですよね。
議論を避けて一方的に好き勝手に言うのも楽ですよね。
文句だけ言って自分は何もしないのが楽ですよね。
昨日も少し腹が立ったけど、
ああいうくだらない人間には死んでもなりたくないと思う。

この人ももしかしたらアフガンに行くときに、
「危険なところにわざわざ行ってアホ?」とか
「良い事してると思われたいだけでしょ?偽善者乙www」とか
思われたかもしれない。

何か新しいことをしようとするときに後ろ指を指すやつって絶対いる。
良い方向に出ようとする杭も打ってしまうのは日本人の悪いところだ。
平等でみんな一緒じゃないと駄目。一人だけえらくなるのは駄目。
「あなたは出来ない人の気持ちが分からない」ってフレーズがあるけど、
逆に「出来る人の気持ちを分かろうとしない」のがこの国だと思う。
出来る人は出来ない人に完全に合わせないといけないのがこの国。
もちろん、時にはそれも必要だとは思うけどさ。
出来ない人に合わせすぎて新しいこともできないってどうなのよ。

それでも、こんな国からでも、
こういう立派な人が出たことを誇らしく思う。
きっとこの人以外にも現在進行形でがんばっている人ももちろんいる。
彼らは命を懸けてがんばってんだから、
安全なところにいる自分らはそれ以上にがんばらないと。

くだらないと言われても、
青臭いと言われても、
少しでも世の中を良い方向に変えたい。
もちろん理想を語るだけじゃなくて具体的に行動に移したい。
バカで元々。どうせなら侍らしく戦って、華々しく散りたい。

伊藤さんのことを調べるうちに、
ちょっとだけ勇気が出た気がする。

一人の「侍」がいたことを思い出せるように、
今の気持ちを書いてみました。



ご冥福をお祈りいたします。
昔から数字で物事を考えるのが好きです。



生まれてから今まで「286ヶ月」の時が過ぎました。



生まれてから東京の西葛西に「41ヶ月」いました。
千葉に引っ越して小学校の途中までいたのが「60ヶ月」。
今度は広島に引っ越して小中と「60ヶ月」過ごした。
次に移ったのが横浜で中高を過ごしたのが「60ヶ月」。



大阪に来て一人暮らしをはじめ、
今日までに「65ヶ月」経ちました。

びっくりしました。
知らない間に大阪は「今まで一番長くいた土地」になっていました。
故郷は?と聞かれたら「大阪」と答えるべきなのでしょうか。
でも、色んなとこに同じくらいの期間いたし、
故郷を一つに限定するのがそもそも難しいですね。



さて、この大阪暮らしが後どれくらいかというと、
寮に移る時期も考えるとちょうど「7ヶ月」です。
9割の行程を終えて、これからが最後の1割となります。
(1割というと、長いのか短いのかよく分かりませんが)



自分の中の「大阪」ってなんだろうって、
深夜バスの中でずっと考えてました。
一つ答えを出すとしたら、多分・・・

「初めて一人暮らしした場所」

これに尽きると思います。

一人暮らしをしたおかげで経験できたことが
実はたくさんあります。

初めて料理をしました。
初めて洗濯をしました。
初めて光熱費を自分で払いに行きました。
初めて自分で家具を買いました。
初めて朝まで家で酒を飲みました。
初めて女の子を家にお持ち帰りしました。
初めて役所に行きました。
初めてNHKの人の対応をしました。
初めて自分一人で引越しをしました。
深夜に自転車で徘徊したりも
一人暮らしじゃなかったらしてなかった気がする。

そんな新鮮な経験をした場所が僕の場合は「大阪」でした。

もし、ずっと同じ場所に住んでいたら、
境界線ははっきりと引けなかったかもしれないけど、
僕の場合は大学時代だけがその前後とは舞台を別にしているので、
完全に独立したものとして切り分けられる。

その独立性と新鮮な経験が相まって、
この6年間は多分一生忘れないんじゃないかと思います。



大学入るまでどころか本当につい最近くらいまで
「全く何も考えてなかった」自信があるんですが(笑)、
もし少しでも頭使って考えられるようになったとしたら、
その考え方のルーツは間違いなくこの土地にあります。

そんくらい色々な経験をさせてもらいました。
僕のような毒々しい花にも肥料を与えてくれた
この土地とそこで出会った人たちに対する感謝を
もう一度思い返さないといけないですね。



お世話になった皆様、
普段は毒舌ばっかですが実は結構感謝してたりしますよ。



破産しそうな大阪、
いつも悪口ばっかだけど、
気が変わらなければそのうち寄付で報いようと思ってるのよ。



それでは最後の1割。
もう少しだけお付き合いください。
さて、今回は大阪府のことについて。
個人的に大阪府がどうなるのかっていうのには注目していて、
たまに時間取って周辺事項に関して調べたりしています。

まず、大阪府の現状なのですが、借金が多いです。
どのような借金をしているかといえば、
「府債」という地方債を発行してお金を集めています。
この図を見れば少しイメージが沸くと思うのですが、
大阪の債務状況は全国的に見てもトップクラスに悪いです。
(もちろん、やばいのは大阪府だけでなく岡山県などもかなり危険な状態です。)

そこで、借金が多いと何がまずいってことなのですが、
財政再建団体に指定されてしまい、自治体としてだいぶ残念な状態になるのです。
具体例がないと分かりづらいと思うので、
実際に財政再建団体に指定されて財政再建中の夕張市の例を挙げます。
・職員給与カット(15%~75%)&採用凍結
・市が保有する観光施設31施設の内29施設を運営委託、売却、廃止
・市民税3000円→3500円、固定資産税1.4%→1.45%に、軽自動車税が現行税率の1.5倍に
・ごみ処理は一律有料化、施設使用料も5割増
・下水道使用料が10立方メートルあたり1470円から2440円に値上げ
・公共施設(トイレ、プール、図書館)などの多くを廃止
財政再建団体になるともれなくこのような状態が待ってます。
ちなみに夕張市は2年間で人口が1割減ったらしいです。

さきほども言ったように借金の多い大阪府なのですが、
実はすでに「財政再建団体」になれる条件は満たしています。
「このまま行くと財政再建団体になる」のではなく、
すでにアウトな状態にまで来ています。
それでも財政再建団体にならなかったのは、
「財政再建団体になるためにはまず自治体からの申請が必要」
という従来の仕組みがあったからだと思います。
どういうことかというと、自己申告制だったんですよ。
どんなに財政がやばい状態でも
自治体が言い出さなければ財政再建団体にはならなかったのです。

それが昨年事情が変わりました。
2007年に自治体財政健全化法が成立したのです。
どういう法律かというと、
「ある特定の条件を満たしている自治体に対して、
国が勝手に財政再建団体に指定できるようになった」のです。
この法律は2008年度の決算から適用されます。
もう国はその気になれば大阪府から自治権を取り上げることができるのです。



そんな中、府知事が新しい人に代わりました。



府は今お金の問題で苦しんでいます。
そんな中でどうするかといえば、
・歳入を増やす
・歳出を減らす
基本的にはこの二つです。
知事もこの方向で進めています。

歳入を増やすための策がまるで弱いとは個人的に思うのですが、
歳出削減はよくやってると思います。
今は歳出を借金でまかなっている状態なので、
いつまでたっても借金は減るわけありません。
やはり限られた予算内でやりくりするというのは賛成です。

しかし、反対意見も多いです。
「これを削るとは何事か!」などという意見が後を絶ちません。
僕から言わせてもらえば今までがおかしかっただけなんです。
「あれもこれも欲しい。とりあえずカードで全部買ってから考えよう」
ずっとそんな感じだったわけですよ。

職員の給与や退職金削減もそうですね。
もう文句タラタラ。
どうせ再建団体になったら給与カットなのに。

そんな状況を見ていて感じることが、
「いかにマクロに物事を見れない人が多いか」
ということです。
さらに言うと、
「いかに長期的に物事を見れない人が多いか」
です。

自分とそのすぐ近くのことしか考えられない。
さらには自分自身の将来ですらしっかり考えられない。
きっと財政再建団体になったらなったでまた文句言うんでしょうね。

「イルミネーションがどうのこうの」とかはいらねぇよ!って思うのですが、
その他のまっとうなことまでもがミクロ人間達に否定されてるのを見ると、
正直同情しますわ。
知事としての案は半分くらいしか評価してませんが、
腐った構造にメスを入れようとする心意気はかなり好きです。



仮にも「生まれた&6年間大学生活を過ごした」土地なので、
復活してほしいというのが本音ですが、
府民の反応を見る限りでは正直厳しいかもですね。
もう日本第2位のプライドだけでは食っていけませんぜ。



2006年11月に武田薬品の研究所の彩都誘致に失敗しました。
武田薬品は大阪の老舗企業にも関わらず、
結局研究所は大阪ではなく神奈川に作られることになりました。
当時の武田薬品の社長の発言です。
「20~30年後の研究体制を視野に入れ決めた」
前府知事時代の大阪を見て将来性を感じなかったということですかね。



さて、そろそろまとめないと。
関西の一番の強みだった製造業は今海外に生産拠点を移して、
国内への利益還元率が激減してるらしいですね。
まさにここからが正念場です。
文句ばっか言ってないで、
「もっと全体のことをしっかりと考えられて」
「橋本より俺の方がもっと良い案考えたるぞ!」ぐらい
気合入った人が増えるといいですね。

僕は今の大阪があまり好きではないので、
来年から東京の方へバックレさせて頂きます。
知事と大阪を愛する全ての方々、がんばって☆
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